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  • 執筆者の写真冨樫 耕平

ニュージーランドで獣医を目指していた頃の話

更新日:5 日前

古い写真が出てきたので、

またニュージーランドでの思い出について書こうと思う。


私は、14歳(中学校2年生)のときにニュージーランドへ留学した。

日本の中学校にいた頃は、英語が苦手で、

アルファベットは、大文字しか読み書きできなかった。


ニュージーランドの高校を卒業後、

動物が大好き・ムツゴロウさんのファンだった私は、

獣医になりたいと考え、

Palmerston Northという、北島の街にある

Massey Universityに進学することにした

(発明家になりたくて、ロボット工学を専攻することも検討した)。


(写真の出典:https://www.massey.ac.nz/about/news/massey-university-te-kunenga-ki-p%C5%ABrehuroa-showcases-excellence-in-2022-qs-subject-rankings/)


獣医学部に入学できる生徒数には制限があり、

まずは、獣医学部のpre-selectionに入った。

そして、獣医学部のDr. Nick Whelanが、

私のメンターとして、定期的にミーティングを開き、アドバイスをくれた。

彼はよく、私に"eat an elephant one bite at a time"という言葉をかけ、

励ましてくれた。

これは、「象のような大きな目標や課題に立ち向かう際には、

一気にそれを片付けようとせずに、少しずつ課題をこなしていこう」という意味で、

今でもこの言葉をよく自分に言い聞かせている。

(写真の出典:https://seangallo.com/2011/02/22/how-to-eat-an-elephant/)


また、Nickのおかげで、私は一年目・pre-selection在学中、

週末や大学の休みの期間に、大学の施設や牧場などで、

獣医学部の先生や職員が行う研究のお手伝いをすることができた。

朝早くから牧場へ行き、牛や羊などの採血の手伝いをした。

一番遠い牧場は、Taupo(北島の中心のあたり)の方にあった。


さらに、研究等のお手伝いをしていたことやNickの厚意で、

東京大学獣医学部の先生とその生徒さん達が、

Massey大学へ実習コースの受講に来たときに、

私も通訳として実習に参加させてもらった。


通訳をしながら、私も実習の一部に参加させてもらった。

この実習では、大型の動物(馬、牛等)の解剖や扱い方の練習等が行われた。

ロープ一本で牛を倒す方法や、羊の捕まえ方、

馬や牛の爪の切り方等も練習させてもらうことができて、とても楽しかった。

馬一頭を解体する様子もみることができた。

馬の解剖は、とても勉強になったが、

ついさっきまで生きていた馬が亡くなり

(解剖のために殺されたのではなく、

脳できた腫瘍のため、実習期間中に亡くなった)、

その後、解体される様子を見たときは、涙が出た。


記憶が定かではないが、確か、東京大学の先生は、

佐々木教授というお名前だったと思う。

私が日本に一時帰国した際には、

ニュージーランドに来ていた獣医学部の学生さん達が、

東京大学の研究室を案内してくれたり、都内でご飯をごちそうしてくれた。

当時、学生だったあの人達は、

今は、きっと立派な獣医さんとして、

どこかで活動しているのだろう。


大学での研究の手伝いや

東京大学の皆さんの実習に「通訳」として参加させてもらったことにより、

私はますます、「獣医になりたい」と感じるようになった。


ちなみに、日本では、「できること」よりも「できないこと」が、

注目・強調される傾向があるように感じる。

しかし、Nickをはじめ、Massey大学の先生方・職員のみなさんは、

私がやりたいこと、興味があることを全力で応援してくれた。

ニュージーランドだけでなく、米国でも私のまわりには、

私のやりたいことを応援してくれる人達がたくさんいた。


このような経験とは別に、

私はNapierという(私が中学・高校に行った)町にある

獣医クリニックで1週間ほど、実習を受けた。

今はもうないようだが、

確か、TaradaleのAnderson Parkの向い、Heavens Bakeryの並びに

獣医クリニックがあった。

「Greenmeadows Vet Clinic」のような

名前だったと思う(does anyone from Taradale remember?

Also, what happened to the Havens Bakery!?)。


あまりの楽しさに、私はクリニックでの実習が終わった後、

また一週間程、クリニックにお邪魔した。

お名前を思い出せないが(Doug先生だったと思う)、

とても優しい先生で、二回目にお邪魔した際には、

先生のご自宅に泊めていただいた。

お庭(牧場)には、牛や馬の他に、ダチョウがいて、

ダチョウの卵の目玉焼きが朝ごはんに出てきて驚いた。


クリニックでは、獣医の先生のお手伝いをした。

猫や犬などの他に、鹿、牛、馬、アヒル等の診察のお手伝いをした。

動物は好きだが、deer farmで発情期の鹿の角を

切り落とすお手伝いをした時は、とても怖かった。

あと、怪我をしたアヒルも結構怖かった。

初めは元気がなく、大人しそう・可愛く見えたが、

元気を取り戻すと、エサを持ってきた私を口ばしで威嚇した。

アヒルの目も「やってやる」と言っているようで、怖くみえた(笑)

また、このクリニックで私は将来を決める大変貴重な経験をした。

それは、「動物が好き」という

当時の私が持っていた単純なおもい・考えだけでは、

獣医の仕事は務まらないという経験だった。

このような考えに至った出来事が、二つあった:


一つ目は、ある酪農家さんのお家へ行ったとき、

脚に感染症の症状のある牛(乳牛)がいた。

獣医の見立てでは、簡単に治療ができる症状だった。

しかし、獣医が治療にかかる費用について説明をすると、

酪農家は、歳を取った牛なので、治療は行わず、

肉にして売るという判断をした。

勿論、牧場の経営上、理解できる判断だったが、

動物が好きという単純な・お花畑の頭だった私には、

命よりも利益を優先するという考えが、理解・納得できなかった。


二つ目の出来事は、クリニックに

ヒヨコ(アヒルの赤ちゃん)が連れてこられた。

確か(間違っているかもしれないが)、

飼い主が飼えなくなったので、

殺傷処分して欲しいという依頼だった。

ヒヨコは、しばらく元気に

診察台の上をピヨピヨと可愛い鳴き声をあげながら、歩き回っていた。

素人の私には、どこひとつ悪いところがなく、

とても元気で、命に満ち溢れているようにみえた。

獣医は、私にヒヨコを手で優しく押さえているように指示をして

(きっと彼は、意図的に私にそのような経験をさせてくれた)、

1本の注射を打った。

注射を打つと、元気だった命は、あっと言う間に失われた。

ヒヨコちゃんを押さえていた私の手から

命が失われていく感覚が伝わってきた。


この二つの出来事を通して、

私は、獣医という仕事は、単に動物が好きなだけでは務まらない。

獣医は、人間の都合で動物の命を救うだけでなく、

(できるだけ動物が苦しまないように)絶つこともしないといけないのだと、思い知った。

勿論、そんなことは頭では「知っていた・分かっていた」が、

動物たちの「人間の都合による死」を目の当たりにして、

やっと、それがどのようなことを意味するのか・どんな仕事なのか理解できた。


その後、私は、pre-selection終了後、

獣医になることをあきらめ、転部した。

実習後、何か月も悩んだが、

私には人間の都合で動物の命を絶つお手伝いはできない、

仕事と割り切れたとしても、

きっと、罪悪感やストレスで苦しむだろうという結論に至った。


ちなみに、私はペットを飼うのがとても苦手だ。

例えば、小学生の頃、ジャンガリアンハムスターを2匹飼っていた。

お小遣いをケチって、ダイエーのセールワゴンに乗っていた

鳥かなにかの、見るからに不味そうな、安いエサを

ジャンガリアンに与えていた。

すると、ジャンガリアンはエサを食べずに、共食いをして死んでしまった。

また、セキセイインコを飼ったときには、

インコちゃんをお風呂に入れて、

ベランダで日向ぼっこ・羽を乾かしていたところ、

ベランダから部屋のなかにインコちゃんを入れるのを忘れて、

凍死させてしまった(当時、NZは冬で、夜はとても冷えた)。


だからきっと、私は獣医にならなくてよかった。

私が獣医にならなかったことで救われた命がたくさんあると考えると、

あのとき私は、本当によい選択をした。


今から20年ほど前の話だが、

「獣医になりたい」という

当時の私の夢を全力で応援してくれた方々と、

貴重な経験をさせてくれた動物達に感謝の気持ちでいっぱいだ。

このような経験のおかげで、今の私があり、

大好きな子ども達のお手伝いをすることができている。

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