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  • 執筆者の写真冨樫 耕平

中2で日本を離れて得たもの①:留学開始まで

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中学2年生(14歳)のときに、親元を離れ、ニュージーランドへ留学しました。

そのときの経験が、今、私が子ども達のちからになりたいと思う原動力になっています。

留学中の経験について、何度かに分けて書いていきます。#中2で日本を離れて得たもの

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中学校に入って間もなく、私が通っていた中学校に

オーストラリアから交換留学生がやってきました。


彼女・彼らは、日本で育った私からみれば、

とても自由で、「変わったこと」をしていました。


例えば、私は「授業中は、きちんと背筋を伸ばして座るように」と教わりましたが、

交換留学生達は、授業中、足を組んだり、机の脚に足をかけて座っていました。

日本であれば、「態度が悪い!」、「ちゃんと座りなさい!」等と

注意されるような座り方を堂々としていたので、驚きました

(しかも先生は、交換留学生達のこのような行為を一切注意しませんでした)。


昼休みになると、私や私の友人達は、

いつも通り、家から持ってきたお弁当や

学校で注文したパンやおにぎりを食べていました。

でも、交換留学生達は、マックやピザ等、

当時の私達からすると学校に持ってきてはいけない、

羨ましい・「豪華な」お昼ご飯を持ってきていました。


また、私は英語という科目が大嫌いで、

テストで9点という「奇跡の点数」を採り、

職員室に呼び出されたことがあります。

しかし、交換留学生達とは、不思議とコミュニケーションが取れ、仲良くなりました。


このような「変わったこと」や交換留学生との関わりを通じて、

留学に興味を持ちました

(私にとってマックやピザはご馳走なので、

もしかすると、留学すればお昼にマックやピザが食べられる!という期待だけで、

留学に興味を持ったのかもしれません)。


加えて、私は、小さい頃から洋画が大好きだったので、

海外の文化に元々興味がありました。


水野晴郎さんが解説者をされていた金曜ロードショー、

「さよなら、さよなら、さよなら」で有名な

淀川長治さんの日曜洋画劇場等が、毎週楽しみでした。

VHSでシュワちゃんの「ターミネーター2」等を何度も観ていました。

ランボーが何回、怒って脱出をしたのか分からない程、

ランボーもよく観ていました。

出典:https://www.thecinema.jp/program/00225


海外文化への関心と母からの留学に対するサポートもあり、

本格的に準備を始めました。


当時、私は名古屋市に住んでいて、

片道2時間くらいかかる市外の中学校に通っていました。

学校からの帰り道に、

国際センター(確か、そんな名前だったと思います)の資料室に立ち寄り、

留学先に関する情報などを集めました。

あの頃は、インターネットも無かったので

(少なくとも日本では普及していませんでした)、

本が主な情報源だったのが、とても懐かしいです。


私と私の家族は、その頃、留学だけでなく、

海外旅行にも行ったことがありませんでした。

留学に関する知識や経験が一切なかったので、

留学をサポートするエイジェントに依頼して、

ビザなどの手続きをしてもらいました。


今、考えると留学の手続きは、それほど大変ではないので、

自分達でやってしまえば良かったと思います:


中学、高校、大学等に留学をする場合は、

大抵、留学生をサポートする部署や担当の方がいて、色々と丁寧に教えてくれます。

また、私達のように、自分達で情報を集めたり、

今であれば、インターネットが普及しているので、

オンラインでできてしまう手続きもあります。


そんなこんなで、留学の準備を急ピッチで進め、

半年後程で、ニュージーランドへ留学をすることになりました。


初めは、シュワちゃん、ランボー、ロボコップ等がいるアメリカか、

オーストラリアに留学したいと考えていましたが、

治安と留学費用から、ニュージーランドに留学することになりました。

出典:https://www.thecinema.jp/program/00388


交換留学生との楽しい思い出や、

洋画で観たかっこいい西洋のイメージにわくわくしながら

ニュージーランドへ行ける日を楽しみにしていました。


飛行機に乗るのは、初めてで、

子どもだけで飛行機に乗ってニュージーランドへ行くので、

航空会社の付き添いサービスを利用しました。

このサービスを利用すると、航空会社のスタッフさんが

乗り換えや出入国の手続きをサポートしてくれるので、

お子さんだけで、どうしても海外へ行かなければいけないときはおすすめです。


出国当日、楽しいことばかりを考えていましたが、

両親や妹と空港で別れ、初めて飛行機の中から成田空港の建物を見たときに、

「これから親元を離れて留学をする」、

「しばらく日本に戻ってこれない」という実感が、一気に湧いてきました。

10秒ほど泣き、「泣いても仕方ない」、「楽しいこともたくさんある」と考え、

その後は、ケロッとしてました。


高所恐怖症でジャングルジムのてっぺんにも上れなかった私を乗せた飛行機は、

これでもか!という程、ぐんぐんと高度を上げ、

乗り継ぎ地のフィジーへと向かいました。


つづく

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